Mon.美瑛3・臓器移植

  花ばなに誘われしままはぐれたる美瑛の丘に置き去りにあう
  なだらかな花の坂道下りつつ一本の樫となりにけるかも
  あたらしく臓器移植法定まりて提供の授受をわれは認めぬ
  延命の措置は好まぬだけれども脳死はわれの死とは図らぬ

  とここで意思表示。
植物状態で数年過ごした母をどの時点で死と断定できたか、Oh no. We couldn't decide to stop our mother's life. 臨終を告げられた母は義姉がねぎらってくれた、なんぎしたねえ、あとゆっくりやすんでけれえ、という言葉に大粒の涙を流した。医学は科学ではない、データーどおりにはいかないのが、生命だ、と渡辺淳一氏はいわれた。日本初の心臓移植手術に立ち会った若き渡辺医師は、結局小説に針路を切った。生命は本人のものであるが、遺族のものでもあるし、遺族は共有することによってまた次代に引き継がれて行くのだと信じたい。



美瑛の丘をはじめこのあたりは所詮観光が目的ではない。農地であって、耕作の場である。それは昔も今もおなじ。