Mon. ひなげし

      

essay
昨日投票後に気分転換にとセリオンまで足を伸ばした姉は、募金活動に出会ってその騒々しいのに閉口した。
一生懸命さは日本人の良風だが、行きすぎるのもわれら。
被災1か月経て、逃げたり、忘れたいわけではないが、余震、停電のなかで怯えて過ぎた時間であった。パリでチャリティーコンサートを行った妹に拍手を送った兄は、自分の無力になすすべもなく、募金するしかなかった、と家族はメールで情報交換しながら、語り合う。
国の内外を問わず、心も援助も世界中を席巻している。出来るところから平常の生活をとりもどして、体力をつけることが、被災者を支えるパワーになる。またあり得る災難に立ち向かう知恵を培うベースとなろう。と考える。
GWの人の動きも落ち込むと予想されている。観光地の疲弊ぶりはいかばかりか。ここはこころを奮い立たせて出かけたい。誘えばだれもが委縮して、春のおとずれにも心ここにあらずといった様子である。
花見どころではない、と発言した都知事が大勢の支持を得て選ばれた。彼の発想には舌を巻く、が彼でなければ言えないことは、逆だという気がする。甲州街道の近くに子供たちが学生時代に住んで、洗濯物の黒ずみにおどろいたが、その後石原都政で一変した。政治の力を実感したのも彼である。
その彼をして言わしめたのは、震災の復興は田中角栄なら出来る、だった。嗚呼。
震災被害状況
死者    1万3013人
行方不明 1万4608人
避難者  15万1115人  書きとどめて置く

私の身内は2家族9人が避難したが、友人はご親戚1家3人が亡くなられた。しかし血縁の有無ではなく、人種の別なく人類のかなしみである。