Sun. 岩手路 ・ たろし滝

    石地蔵の赤き帽子に積むゆきを掃い海辺に祈る母あり

    大地震(ない)が津波が破滅させたるを怒り南部の滝は凍れる


 震災1年目。今朝はすっかり雪に被われている。まだまだ春に程遠い去年の今日海に引きずり込まれ、それっきりになった人々を思うのはつらい。
 生き延びた人達もその後、阿鼻叫喚の中の生活との戦いが今日も続いている。あの時刻、私たちはノリさんの定期検診の帰りの車の中にいた。
 昨日私は岩手に向かった。内陸を車で走り、蕎麦やさんや道の駅で土地の人達と話しながら、まだまだ人の往来が戻っていないのを目の当たりにした。



     
     氷柱を土地の人々はたろし、と呼ぶ





たろし滝 (たろんぺーつららの方言)





葛丸川・・滝はこの川に注ぐ
diary
ぼたんゆき
☆ あれから1年、奥羽山脈に隔てられた隣県へのおもいは消えることが無い。
 町内に避難してきた幼い子供たちや若いハハ達と触れあいながら、瞳の奥の暗さを覗く思いがした。
 いきることを自責し、生き方を問われ、これまでの価値観が崩れた。豊かさに満足し、さらなる豊潤なものへの追及はむなしい。質素な単純なくらしを見なおした。
 そして私たちの境遇にも変化があった。ノリさんの入院とその後の施設での毎日。1日1歩の暮らしの実感は重い。
 1年前、済州島への旅をキャンセルして、ふたりの旅費を被災地に送ることしかできなかった。菜の花の風景に立つ期待は失せ、旅ごころどころではなかった。そして済州島は、果たせないままノリさんの最後の旅となった。
 昨日の岩手路の旅で、たろし滝を目指す3人の若い親子連れをみた。
 男の子の元気にはしゃぐ姿がしあわせの象徴そのもので、ほほえましい。ママのお腹にはあたらしい命が宿っている、という。いい出会いだった。
 先に車を発進したパパは窓を開け、手を振って去って行った。ナンバープレートには岩手とある。おしあわせに。