Fri. お世継ぎ・瀧広明先生

  術なしと倒産を詠み菩提寺を離れ異郷に大人身罷りぬ
瀧広明先生の倒産の歌を読んで、仏教学部の後輩の夫とさびしく話しているところに、友人の電話で亡くなられたことを知った。哀悼。

王女様が大好きな少女期を通りすぎてきたのだから、女性はいくつになっても王族や皇族が気がかりである。
3Cはわがクラスである。44年前の女子高のね。今、全員この世の住人であるのがうれしくてたまらない。一声かかると万難排して駆けつけるのは、クラスの会則でもなんでもない。会則はただ一つ。年金と病気と孫の話は持ち込まないこと。
すると皇族の話題に花が咲く。いまや嫁を迎え、娘を嫁がせた姑の気持ちで、美智子さまや雅子妃に思いをはせる。嫁姑のどちらにも共感する。だから眼差しは優しい。
それとは別に私は天皇制に対する是非論をいまだに展開できない。興味深いのは我が国の皇族は和歌を通して発言の人であること。天皇皇后は言うまでもなく、御子も歴代に亘って真情を公表している国は他国にもあるだろうか。相聞や挽歌は人間そのもので、昔も今も身分を越え時空を超えて、ひとびとは敬愛と親愛を抱く。
お気の毒なのは、雅子妃のお病気である。皇族のみならず、国民のお嫁さんとしての視線にさらされている。でもひとつ腑に落ちないのは、独身時代の彼女の結婚観である。これ以上ないと思われる学歴とキャリアを持つのはご本人のみならずファミリーにして抜きんでているらしい。それをもってしても皇室は想像を超える家庭ということか。庶民にあっても結婚は周囲を巻き込む環境は大いにあり得る。伝統の継承の家に生まれて身動きの取れない運命を担わなければならないのはどう解決してきただろうか。当事者にとって問題の軽重は無意味だと思われます。
このテーマに関する著書「お世継ぎ・八幡和郎」は参考になる。