Fri. 平和祈念公園 2

DIARY
It's very fine today too.
たび

  戦いに果てたる名をば刻みいる礎(いしじ)めぐりて誰もが遺族

  1月の陽ざしがあふれ県民の碑(いしじ)ふるれば体温をもつ

  わんわんと24万856人の声木霊して海になだるる





平和の礎は、世界の恒久平和を願い、国籍や軍人・民間人の別なく沖縄戦などで亡くなった全ての人々の氏名を刻んだ祈念碑である。1995年(平成7年)6月に太平洋戦争・沖縄戦終結50周年を記念して建立された。海岸線を見渡す平和の広場に建てられた、屏風型の花崗岩に銘が刻まれる。現在も追加刻銘を受け付けており、刻銘者数は2009年(平成21年)6月21日時点で24万856人。(引用)


       



はな模様

露地ものに感動・カランコエ



特産
           
           沖縄ならではのスターガラス
           赤い珊瑚のようだが違って貝の細工とマッチ 


    
    ミンサー織・数ある色合いの中から沖縄の海の色を選んだ
☆ 沖縄戦跡国定公園
広さは81.3km²(陸域31.27km²、海域50.03km²)。戦跡としては唯一の国定公園である。
1965年(昭和40年)、琉球政府立公園に指定され、1972年(昭和47年)の本土復帰に伴い、国定公園に指定された。
公園内の戦跡は沖縄戦最大の激戦地であり、終焉地である。1945年(昭和20年)5月、アメリカ軍の攻撃により、首里那覇市)にあった日本軍司令部は、この沖縄本島南端部(島尻)に撤退した。狭い島尻には、南下侵攻する米軍から避難する一般住民と撤退・抗戦する日本軍の軍人が混在し、パニック状態に陥った。日本軍による組織的抵抗は、同年6月23日に司令官・牛島満中将が摩文仁の司令部壕で自決したことにより終了したが、アメリカ軍は翌7月初めまで掃討戦を続けた。

沖縄県は日本軍の組織的抵抗が終了した6月23日を「慰霊の日」としている。例年この日には、摩文仁平和祈念公園で、県主催の沖縄全戦没者追悼式が行われる。(引用)