Thurs. 生家(男鹿市若美)
街道沿い
裏の杉の木周辺の大木は寒風山の展望台から見えていたが落雷でたおれた
曲がりやで東南の角は馬やで大戸がしつらえられて出入りの度に馬をながめた
門柱の内側に松の大木があったが、落雷や台風で倒れるのをおそれて伐採 屋根があらわれた
寒風石材を主に石組みした庭は縁側から見るのが好きだった 伝え歩いてしかられた
兄亡きあとは町内に住んでいる分家筋の手によって管理されている様子
◎ 突然思い立って生家の家屋を記録することにした。1,000坪の敷地に100坪の家の構えが今頃になってかけがえのないものに思われて。
古民家という程古くはなくて、現代的ではないし、いい具合に近代的である。
この家は父の嫁取りの支度で構えたわけで、祖父の代で普請したということになる。そこに母が嫁いできて私たち7人の子をなした。長女は生後間もなく夭折したので兄弟の感覚はうすい。長男次男ももういない。
いま家を出て57年になるが、依然として私の家はここであるのがおかしい。
姉も弟も同じ感じで家への思いが結束をかたくしている。家を継ぐ義姉とその子供の家族は仲良く家風に馴染んでいるのは、この家が育んたに違いありません。祖母を筆頭に母いらい4代のお嫁さんたちが磨いたのでもありました。大切なことだとおもいます。姉もわたしも厳しく雑巾がけをいいつけられましたわけですが・・・