Tue. りにあくん ・ 誕生日


NHKのあさイチから。松田 利仁亜アナウンサー。
ここ数年ニュースこまち秋田で夕方の顔として、笑顔と名前でアッピールした。昨年の移動でみえなくなって寂しかった県民のわたしであったが、今は違う。朝の目覚めが間に合えば、全国区であらわれる。相変わらずの年齢不詳の落ち着きのなさとキュウトな笑顔。わがこの仕事ぶりを確認して今日は始まる。
今日はノリさん誕生日。68歳。ここまでたどりつきました。おめでとう。さあどんな日にしようかな。天気は晴れ。



結局ノリさんの誕生日祝いはサプライズはなく、花を買う。それはあなたを産んでくれたお母さんへのプレゼント。母は洋花を好んだ。いろいろ選んだが、フリージィアをたっぷり。香りの花。
そしてふたりでお祝いはキャンドルでティーパーテイー。おもいでのキャンドルに灯す。子供たちの代理の猫と。
健康に不安だったこれまで、子供たちはノリさんの誕生日をいろいろ祝ってくれたが、今年は静か。これがいい。元にやっと戻った平安。
風邪のベッドからキョウコがお祝いの電話。ブログを示して一緒にパーティに参加させ、キャンドルや花瓶やらの思い出を語りあう。ルビー婚のアウトラインなども。
essay 退職後
共働きだった私たちは休日はバラバラで、共通の趣味もなくなかなか同行がままならなかった。
たまに出かける海外旅行は、一緒に行かないルールを決めた。子供たちを養育する間は一緒に事故に会うことに保険を掛けたのだ。
二人の退職後の自由時間ははじめて一緒にフランスにでかけ、娘の留学している姿をチェック。帰国を言明する目的があった。帰ってからは憑かれたようにプランをたて、ヨーロッパの各国に降り立った。けれどもノリさんは道中を楽しんでいそうにも見えず、あとは一人で出かけてくれ、と音をあげた。時間と費用をオーディオの設計と、創作に当てたがったのだ。
そうだろうなあ、とこれからの方向が見えてきたときの出来事が、病気だった。
インフォームド・コンセントを主治医は余命1年猶予と告げた。手術は手に負えないMRIのフイルムを指して始まった8か月の入院治療を終えて帰った時、体重は10キロ以上が足りなくて、20歳は老けてみえ、放射線の治療で新しい記憶が衰えた。脳腫瘍の治療の結果のダメージを前に狼狽したが、とにかく生還できたことに感謝した。
それからは、終焉に向かう準備のような緊張の時間が、昼夜の別なく続いた。顔色を伺い、足取りを見つめ、食欲を盗み見し、真夜中の息遣いに耳を澄ます。1日という単位がくらしから消えた。
テレビ局で技術部門をリードしてきた腕前は、録画することもできずに呆然としてテレビの前にたたずんだ。一方退院後間もなく見舞った、闘病中の66歳の兄は潰えた。
しかしノリさんは医師の持つデータを越え生き延びて、定期検診の結果は再発していない。
そうしていまわたしたちは一緒に巡った海外の教会や博物館、峡谷、遺蹟、野良猫などの話題に楽しく遊ぶ。それからホットワインシシカバブー、ご当地産のトマト、ショウロンポウなどおなかの中の風景を反芻する。
発病前の記憶は鮮明で頼もしく尽きることが無いから、もしあの時の財産がなかったら、と思うと今ふたりは何を語り合うだろうか。
強引に誘った旅に救われているのである。勿論思い出の中ばかりにいるつもりはないから、希薄になっていく記憶にも新しい体験を畏れないで生きたい。
実際退院後1年足らずには、カンボジアベトナムに立て続けに出かけ、国内にも遠出した。エジプトはキャンセルしたが、来月は済州島に飛ぶ。だがいま一つの問題は足腰の衰えである。それは、私も同じ。老いというモンスターに正面衝突した事故から逃れるすべはあるのだろうか。
予想外に早い老後の到来に不用意すぎて戸惑っているが、しかし一体誰が、何歳になったら老後の自覚を持ち、準備をはじめるだろうか。老いは突然空から降ってくる。前からではなく、後ろからでもない。